冷静と情熱と音と私

31才、無職になったので音楽ばかり聞きに行ってみた

METライブビューイング ”蝶々夫人”

10日程前になるけれど、東劇へMET LIVEビューイングで蝶々夫人を観てきた。オペラのライブビューイングと言えば伝わりやすいかしら。ニューヨークはメトロポリタン歌劇場という世界最高峰のオペラハウスで行われたものを日本の映画館で鑑賞できるのだ(でも実際日本で放映されるのは数週間遅れでなので、ライブというのが正しい言葉かどうは分からない笑)。

 
この試みがスタートしたのは2006年。
ライブビューイングの先駆け的存在と言っても過言ではない存在!
実際のオペラよりも安く、そして10台越えのカメラワークがあるのできちんと細部まで見え、幕間には出演者のインタビューもあり、客席が見え雰囲気も伝わってくるので、オペラ行くのかどうか迷っている人にいいんじゃないのかなぁ、と思っている。
 
さて今回見に行った蝶々夫人。実は去年は2回も生で見ているので、演目自体はこれで3回目。
なにかしら縁があるのだろう。

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あらすじは以下。有名なアリアはカッコ()で。 
明治初頭の長崎。
アメリカの軍人ピンカートンは女衒の紹介で芸者の蝶々さんと結婚をする。二人は幸せな結婚をする(愛の二重奏)が、時は流れ、ピンカートンはアメリカに戻ることに。彼を待ち続ける蝶々さんの願い(ある晴れた日に)が通じたのか、アメリカから船がやってくる。ピンカートンがアメリカ人妻をつれ来日したのだ。ピンカートンは自分の子供がいると知り、引き取ろうとするも肝心の蝶々さんには気後れして会いたくないというクズっぷり(さらば愛の巣)。子供を引き渡そうと決意した蝶々さんは、我が子が将来自分のことで悩まなくてもいいように、自害する(さよなら坊や)。
(私の大好きなキャラクター、領事のシャープレスを入れると長くなってしまうので今回は割愛)
 
キャストについては今回、蝶々夫人がホイ ・ヘーという中国人歌手だったこともあって視覚的にもより世界に没入できた。人口比率から見て、白人が蝶々さんを演じやすいのは理解できるけど、やはりアジア人が演じていると西洋と東洋の間での苦しむことになった蝶々さんの想いがより伝わってくるかと思う。シャープレス役のプラシド・ドミンゴが降板、パウロ・ジョットが演じ、ピンカートンも直前の交代でロール・デビューとなるブルース・スレッジが演じた。
 
演出は2006年のアンソニー・ミンゲラのバージョン。
ミンゲラは残念ながら2008年に亡くなってしまったのだがこの人、生前は映画イングリッシュ・ペイシェントコールドマウンテンの監督も勤めた方。前者についてはアカデミー賞まで受賞もしている、偉大な人なのだ。(いずれも美しくて胸にくる映画なのでぜひ!)
In film,” he said, “you choreograph the eye with the camera. On the stage it’s done with stillness and movement.
2006年のNew York Timesの記事より。
「「映画では」彼は言った「目とカメラで魅せる。でも舞台上では静けさと動きで魅せるんだ」」
これからもたくさん演出や監督を手がけたであろう人なのに夭折が悔やまれる。
 
このプロダクションは、蝶々さんとピンカートンの息子に、実際の人間を使うのでなく文楽人形を導入したことで当初から話題になっていた。つまりは黒子姿の人形師達が、蝶々さんのすぐ横で人形(=子供)を動かしているのだ。私も人形を写真で見たときはつるんとした顔や毛のない頭にギョッとしたものだが、実際のスクリーンの中で動いているのを見ると、あれ…子供らしく無邪気に母親の足元にまとわりついて、遊ぼう遊ぼう、と言う声が聞こえた、気がした。

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蝶々さんは15歳の設定だが、その年齢でこのアリアを歌いこなせる人はいない。だったら蝶々さんとピンカートンの息子も2歳でなくて良いはずだ!と演者がもっと歌に集中できるよう、と子供を人形にしたミンゲラ。年齢の事はさておき、だからといって文楽人形という発想は、、奇才というかなんというか。
 
オープニングとクロージングは 下の写真の通りの演出で。白い着物を纏い、扇をもった女性が赤い布を体に巻きつけ、舞う。オープニングでは蝶々さんの体を中心に4人がそれぞれの方向に布を引っ張っており、直感的に蝶々の羽をイメージした。そしてクロージングでは2人2方向のみになり、その布がゆっくりと手放され、蝶々さんが倒れこむ。
羽をもぎ取られ力尽きた蝶のように見えてどうしようもなかった。

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話の内容としてはほんと誰にとっても救いのない、かつ人種差別的であるという批判すら受けてしまう作品なのだが、なぜか見に行ってしまう。その度に新しく気付くメロディーだったり歌詞に気づく。美しさと悲しみにどっぷり浸かり、そして好きな場面が増えていく。
次はどんな蝶々夫人に出会えるのか楽しみでもある。
※写真は全てmet live opera公式サイトよりお借りしたものです。